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偏狭な考えの人が言う偏狭って何でしょうね
 4年に1度のスポーツの祭典であるオリンピック。世界中の国から、それぞれの競技のトップ選手、そしてベストチームがやってきて、白熱の激戦を繰り広げる・・本来のオリンピックの見所であります。また、自国の選手・チームが活躍するのは、観る者に対して自己投影含みの興奮を与えてくれます。

 選手・チームが国の代表として全力で戦い、観る者は自国代表選手・チームの活躍で我が事のごとく喜怒哀楽する。これはどこの国でも同じでございます。オリンピックは何かいつものスポーツ観戦とは違う、特別な感動を生み出す大会であると一般には考えられていますが、なぜか日本には『全く違う』考え方を持った人達がおります。

 言論の自由が保障されている日本ですから、誰がどんなことを言おうが自由ですが、オリンピックがあると、何が目的なのかはそれぞれなんでしょうが、必ずこういったことを言う人が出てきます。全く『偏狭な考え方』を持った人というのは困ったモノ。こちらをご覧下さい。(ダイアモンドオンラインから以下引用)

星野ジャパン人気に見る「偏狭ナショナリズム」という脅威

――メディアから視聴者、選手団まで「日の丸」に支配された北京五輪

 63年目の8月15日を北京で迎える576人の日本選手団のなかで、かつて日本が植民地支配や侵略戦争で中国民衆に甚大な被害を与えたことを、反省を込めて想起するものがどれだけいるであろうか。

 JOC(日本オリンピック委員会)選手強化本部長で選手団長を務める福田富昭氏は、現地での記者会見で相変わらずメダル勘定しか発言しなかった。「金メダル2けた以上、総メダル数30個以上でアテネ(37個)を超える」と。選手団のトップがメダルしか頭になく、それ以外のことには思考停止の有様で、過去の歴史認識などまったくない。おそらく、選手団全体も同様ではなかろうか。

ナショナリズムの象徴 星野仙一という存在

 現地入りする前にメディアから北京オリンピックについての抱負を聞かれた選手たちの多くが、「日の丸のためにメダルを目指して頑張る」と応えたのは印象的だった。とりわけ、テレビに出演する度に日の丸を徹底して強調した野球代表監督・星野仙一氏の存在が目立った。

星野氏は、プロ野球・中日ドラゴンズ監督時代、理論や論理ではなく暴力で選手を納得させる指揮官として知られた。また、日の丸の強調が象徴するように星野氏は、ナショナリズムに凝り固まった人物でもある。

 しかし、メディアは、そうした星野氏の本質的な資質を見ようとせず、「闘将」「熱血漢」などと偽称して持ち上げ、頼りがいのある指導者のイメージを作り上げてきた。そして、星野氏の理屈抜きで感情的に思いついたことをずばずばという語り口が、メディアによって思考力を奪われた視聴者に受けたといえよう。

 選手団のなかで存在感の大きい星野氏だけに、その偏狭なナショナリズムが野球ばかりでなく他の競技の選手にも影響を与えることを危惧せざるを得ない。

1つの詩が教えてくれる「日の丸」に隠された真実

「原爆詩人」として知られる栗原貞子さんの「旗」という作品の一部を紹介する。

 日の丸の赤は じんみんの血  白地の白は じんみんの骨
 いくさのたびに  骨と血の旗を押し立てて
 他国の女やこどもまで  血を流させ 骨にした
(中略)
 日の丸の赤はじんみんの血  白地はじんみんの骨
 日本人は忘れても  アジアの人々は忘れはしない

 栗原さんは、この詩で「日の丸」を象徴とした侵略戦争によって2000万人ともいわれるアジアでの犠牲者をだしたこと、そればかりか戦後もそのことに対して謝罪も補償もしない、そうした日本のあり方を厳しく批判しているのだ。

 日の丸を誇ったり、日の丸のために頑張る、というような単純で薄っぺらな発想がいかに愚かで誤ったことか、この詩は教えてくれる。

国威発揚の手段にされる「メダル競争」 ナショナリズムを克服するには

 北京オリンピックには、205の国と地域から1万人以上の選手が参加する。そのなかには戦争や貧困、飢餓、それに宗教、人種差別などによってスポーツ活動もままならない国や地域の選手たちもいる。そうした選手たちは、メダル競争ではなく、世界から集まった選手と出会い、共に競技することにオリンピックの意義を見出すに違いない。憲章に唱われているように参加した選手たちが友情、連帯、相互理解という人間性を発揮することにこそ、オリンピックの普遍的な価値があるはずだ。

 しかし、実際にはナショナリズムに基づいた国威発揚の手段としてメダル競争がオリンピックを支配してしまい、選手の人間性は歪まされ壊されている。ナショナリズムを克服するにはどうすればいいのだろうか。

 ドイツで戦争と革命の世紀を生きた女性画家のケーテ・コルヴィッツは、第一次大戦が始まったとき、息子への手紙にこう書いている。

 <私たちは言いました。『国際主義の理念はしばらく後退せざるをえないだろう。しかし、あらゆるナショナルなものの背後に、インターナショナルなものが厳存する』と。ナショナルな発展の現状は、袋小路に行き着きます。民族的な生活を保持しながら、ナショナルなものどうしの衝突を不可能にするような立場を、見いださねばなりません>
【「ケーテ・コルヴィッツの肖像」(績文堂出版)】

 ケーテ・コルヴィッツは、国際主義によってナショナリズムを克服することで戦争のない平和な世界をつくりだせると確信していた。国を超える国際主義の思想によってしか相互理解や連帯などの人間的価値は、実現できないといえるだろう。ナショナリズムに呪縛されて日の丸やメダルしか考えていない日本選手団にとって、あまりにも難しい課題だ。

谷口源太郎(スポーツジャーナリスト)


 もうお口アングリですね、これ。この谷口さんという方は、1938年生まれだそうで、終戦時はまだ子供と言ってよい世代なんですが、この世代の方に多く見られる症状と言いますか、バリバリの軍国少年だったところに突然の終戦で占領軍がやってきて、彼らが今までとは全く違うことを刷り込んだため『頭が真っ白』になったと告白される方が多いです。
 
 いわゆる『WGIP』と呼ばれる戦後の洗脳教育のキツイのをモロに浴びたので、やたらと日の丸やナショナリズムに拘るのもひとつの特徴なんですが、拘りすぎて他の事が何も見えなくなってます。この記事を読んで、一般の人なら『なんだこれ?意味分かんねー』でしょうし、少し歴史をかじった人なら『ブサヨ乙。』のひと言です。そうだそうだ!と言ってくれるのは、今では極少数になってしまった『お仲間』くらいのものでしょう。

 
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