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東京新聞 中国様を見るときは肯定的でなければ許さん!
 北京五輪を観戦するために中国を訪れている外国人が、襲撃されるという事件があったようですね。サバイバルという種目がいつ追加されたのかと思う今日この頃ですが、まあそれは冗談としても、これから中国に行くあるいは既に現地入りしている方には、身辺に十分注意をして頂きたいものです。

 さて北京五輪ですが本来、話題の中心になるはずの競技そのものは、今のところ日本選手・チームの活躍が芳しくない(もしくはそう仕向けれれてる?)ので、イマイチ注目されてないなあと感じていますが、中国ならではのハプニングや、不可解なジャッジ・採点などは、さっそく注目の的になっております。

 色々な無理をしながら、今回の五輪をやっているのが中国ですから、いくら隠そうとしてもボロは出てくる。そういったところに注目が行くのは、ある意味で仕方のないことなんですが、このような風潮はマズイと思ったのかどうなのか、何やら奇妙なことを書いてる新聞があるようです。こちらをどうぞ。(東京新聞から以下引用)

あるがままに中国を見る

2008年8月10日

 北京五輪が開幕し、新聞、テレビなどメディアに中国の紹介やニュースがあふれている。記者とカメラは競技場の中だけでなく、胡同(フートン)(路地)や農村に分け入り、五輪を迎えた中国の人々の表情を生で伝える。

 連日、新たな発見があり、伝えられることがなかった中国の変化をうかがい知ることができる。

 しかし、中国への偏見に満ちた先入観を一方的な取材で「裏付け」て満足する類(たぐい)の報告も少なくない。

 北京五輪をきっかけに強まった各種の政治勢力や団体の中国攻撃に便乗する「報道」も見られる。

 一党独裁を続け言論表現の自由を抑圧する政治体制に批判が強いのは当然だ。

 しかし、改革・開放で生まれた新たな動きが、中国の政治、社会に前向きの変化を促している。その前途は決して楽観できないが、困難の中で中国を世界と調和するよりよい社会に変えようと苦闘している人々が共産党内外に存在する。

 この事実を無視して「とかく中国は」と十把ひとからげに排斥したり見下すのは、いかがなものか。中国と中国人には尊敬に値する精神も長いものに巻かれる怠惰も存在する。それは日本と日本人も同じだ。

 むしろ、活力に欠け世界の注目や批判を浴びることが少なくなった日本の先行きの方が危ぶまれる。

 北京五輪の期間中、あるがままの中国の変化を凝視し、隣人の大国の将来を考えたい。 (清水美和


 出たよ東京新聞。ボロが出てきたら、必ずこういったことを書く新聞があるだろうなと思っていたのですが、ちょっと早すぎませんか(笑)。しかし『あるがままの中国を見る』というお題で、中国を十把ひとからげに排斥したり見下すな、と言っていますけど、中国を何が何でも肯定的に見ようとして、あるがままに中国を見れてないのは、清水さんの方じゃないんですかね?

 困難の中で中国を世界と調和するよりよい社会に変えようと苦闘している人々が共産党内外に存在する・・から、もうちょっと暖かい目で見てやろうよとでも言いたいのでしょうが、そういう人は確かに存在するけれども、それは百年以上の昔から同じように居た。そして日本には、中国の『そういう人』を助けよう支援しようと大陸に首を突っ込む人が、昔も今も同じように居る。

日本の不幸は中国と朝鮮である。

この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、 日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。

情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。

国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。

「東アジア共同体」の一員として その繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。

日本は、大陸や半島との関係を絶ち、 欧米と共に進まなければならない。ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。

この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。

私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。(現代語訳)

福沢諭吉 「脱亜論」(明治18年:西暦1885年)


 ご存知の方も多いでしょうが、これは福沢諭吉による脱亜論の有名な一説です。中国や朝鮮は千年の昔から精神的に変わってない、と百年以上も前に言われたものですが、内容を見てみると、どうでしょうか今も実にしっくりくるではありませんか。世界との調和を目指している人も『中には』いるでしょうが、今でも中国は世界の中心、世界のトップという意味で中華を自称し、過去に拘り続け、お前が悪い!と叫びまくってます。
  
 精神的というのは『本質的』と言い換えても良いと思いますが、残念ながら私は、彼らが本質的な変化を遂げようとしているとは思えませんし、近い将来に遂げる事が出来るかと問われれば、NOと答えるほかありません。故に、変な期待をしたり、もうちょっとの辛抱だから暖かい目で見てやろうとは思わない。あるがままに見て、おかしい違うと思えばそれはおかしいでしょ違うでしょ、と言い続ける。それで良いと思うのです。なぜなら本質的な違いを認識出来なければ、変化は出来ないと思うから。


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