人数の多さと声のデカさ『だけ』が自慢の中国人たちが、数の上では圧倒していた現場。特にリレーの出発地と到着地は、中国国旗の『赤』一色に染まっている映像を何度か見かけた管理人でしたが、なんのチベット人やチベット支援者達の存在感もなかなかのものでした。
リレー途中、男性が隊列の方に向かって駆け出し、チベット国旗を掲げようとした場面では、欧米での抗議行動を彷彿とさせるものがありましたが、この男性、台湾在住のチベット人だったようです。こちらをご覧下さい。(産経新聞から以下引用)
「フリーチベット」の叫び届かず亡命2世 泣きながら乱入 聖火リレー (1/2ページ)
何のための、だれのための「平和の炎」なのか。26日、3000人規模の厳戒態勢の中で行われた北京五輪の聖火リレー。沿道を埋め尽くす真っ赤な中国国旗と、時折揺れるチベットの雪山獅子旗。出発式会場に一般客は入れず、平和の祭典を象徴するイベントは「市民不在」で進んだ。「チベットに自由を」「ゴーゴーチャイナ!」。チベット問題を訴えるプラカードも掲げられ、タレントの萩本欽一さんや卓球の福原愛さんが走行中には男が取り押さえられる場面もあった。善光寺で知られる仏都・長野市は終日騒然とした空気に包まれた。(林英樹、永原慎吾)
ハプニングは突然起きた。JR長野駅や善光寺周辺と比べて、比較的観客の数が少ないコース中ごろの沿道。「フリーチベット!」。チベットの旗を握りしめた男がロープをまたいで車道へ飛び出し、聖火ランナーの列に飛び込んだ。警官隊に取り押さえられ、地面に顔を押さえつけられながらも、「フリーチベット」の泣き叫ぶような声は消えない。
男は、台湾に住む亡命チベット人2世の古物商、タシィ・ツゥリンさん(38)。「私はオリンピックに反対しているわけではない。ただ、チベットの惨状を全世界に訴える絶好の機会だと思っている」。この日朝、沿道の別の場所でチベットの旗を広げていたタシィさんは記者にそう話していた。
タシィさんは、中国のチベット侵攻後の1959年、チベットからインドに亡命し、その地で生まれた。紛争は直接経験していないが、父親の壮絶な体験がタシィさんの心に刻み込まれている。
父親は紛争の最中、政治的理由で中国公安当局に拘束され、死刑を宣告された。しかし執行の前日、一か八か、小さな窓から絶壁に向かって飛び降りて脱走、一命を取り留めた。その後、夫婦で当時7歳だった兄を連れて2週間かけて、命からがらヒマラヤ山脈を越えたという。
「チベット独立は両親の悲願でもある。それを実現するためには、残りすべての人生を犠牲にする覚悟がある」
チベット難民として暮らしたインドでは、常に「どこにも所属しないホームレスのような感じだった」。しかし、ダライ・ラマ14世の言葉に接し、考え方が変わった。「チベットはチベット人のもの。暴力を使わず、平和的に訴えることで、私たちの『自由』を取り戻したい」。
タシィさんは25日夜に長野入り。タイの聖火リレーでも抗議活動に参加したが、そのときと比べると、日本のほうがチベット支援者が多いことに驚いたといい、「応援してくれる日本のみなさんに感謝している」と述べていた。
多くのチベット人は、このタシィさんのような過去を背負っています。平和に暮らしていたところに、中国が突然入り込んできて、逆らった人間を虫けらのように殺した。のみならず、中国は現在進行形でチベット人を抑圧し続けている。元の生活を返せ!こんな状況で平和の祭典の開催だと?笑わせるな!という声が、こういった人たちから上がるのは当然なのです。
中国は、今回の長野での『聖火』リレーは『成功裏に終了(CRI)』したという見方をしているようですが、一体何が『成功』だったのかと問いたい。あれでは『辛うじて何とか護送を終えた』と表現するほかない。本来であれば、行く先々で歓迎されるはずが、とてもじゃないが『平和の炎』などと呼べないシロモノだから、行く先々で抗議行動がついて回る。この異常さを少しは認識しろと言いたい。
抗議行動がついて回り、抗議行動に対抗するため中国人を大量に動員し、『聖火』が通過する各国は厳重な警備体制を敷かざるを得ない。こんな状況を作り出していることで自分達がどう見られるか、考えた事はないのか。それを『成功裏に終了』などと斜め上なことを言う。『聖火』リレーの通過するところ、中国という国の異常性だけがイメージとして残ってるんだ。
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