職務命令に従わなかったわけですから、何らかの処分があっても仕方ない。このケースでは都の教育委員会から戒告処分を受けたんですがこの先生、これを不服として処分を取り下げるよう訴えを起こしました。
訴えを起こしたのは1999年。今が2007年ですから、ずいぶん長い時間が経ってるわけですが、この騒動はなんと最高裁まで持ち込まれ、先日ようやく決着がついたようです。もちろん結果は原告敗訴で、私なんぞは『そりゃそうだ(笑)』とおもわず失笑してしまいましたが、なぜかアッチ系マスコミは揃ってこの判決に意義を唱えてます。
今回のエントリーでは、そんなアッチ系マスコミが書いた社説の中でも、特に電波ゆんゆんのものを皆様に紹介したいと思います。こちらをご覧ください。(中国新聞から以下引用)
君が代伴奏判決 異見つぶす風潮は怖い '07/3/1
小学校入学式での君が代のピアノ伴奏を拒否した音楽教諭に対する、校長の職務命令は、思想・良心の自由を侵害せず合憲、との最高裁判決が出た。東京都教育委員会の戒告処分取り消しを求めた上告を棄却、原告敗訴が確定した。
教育現場における一連の国旗・国歌をめぐる問題には、ともすれば均質化・画一化に走りがちな日本人の精神構造がうかがえ、それが過度のナショナリズムと結びつく危うさを感じさせる。
君が代での最高裁初の判決は、五人の裁判官の一人から反対意見が出されたり、その反対にこたえた内容とは思えないなど、問題も残しているのではなかろうか。
音楽教諭が伴奏を拒否したのは一九九九年八月の国旗国歌法制定の前。「君が代は過去のアジア侵略と結びついており、子どもに歴史的事実を教えずに歌わせることはできない」と主張した。一、二審の東京地裁、東京高裁は「公共の福祉から思想・良心の自由も制約される」などとして、請求を棄却、原告が上告していた。
最高裁判決では「伴奏の職務命令は原告の歴史観、世界観を否定しない」し、「思想・良心の自由を侵害しない」と、職務命令そのものが思想の自由を侵害するとは認められない、としている。それに対して、藤田宙靖裁判官の反対意見は「君が代の評価は国民の中で大きく分かれている」とし、思想・良心の自由と、制約要因となる「公共の利益」との比較、検討を求めたが、判決では「公共の利益」の内容は検証されていない。
現実に、音楽教諭は前もって伴奏できないことを伝え、伴奏テープも用意されていた。それらの事情も踏まえて、伴奏を強制する「公共の利益」とは何か、処分の妥当性は―といった検証がもっとあるべきではなかったか。
米国で子育てを経験したある大学の先生は「米国でも日本でも、褒める教育の大切さがいわれる」という。しかし、その中身は大違いで、日本では教師を含めたみんなと同じ意見を発表すると褒められるが、米国ではみんなと違う意見を言うと褒められる、という。日本人は体質的に均質化に向かう傾向があるようだ。それが背景にあったから、無謀な戦争に突入したのではなかろうか。
教育改革の方向が「愛国」の合唱や、国の権限拡大に向かいそうなときこそ、異見に耳を傾ける必要があろう。教育行政にはそうした意味の慎重さを求めたい。
もうバカすぎる・・お仲間が負けて悔しいのはわかるけど、頭に血が上りすぎて書いてることが無茶苦茶になってます。『ともすれば均質化・画一化に走りがちな日本人の精神構造がうかがえ、それが過度のナショナリズムと結びつく危うさを感じさせる』ってあんた、飛躍しすぎもいいとこですよ。
で、米国を引き合いに出して比較し日本人の精神構造を云々、続いてその精神構造とやらが背景にあったから戦争に突っ走ってしまったんだ!と言いたげな中国新聞、その持ち上げた米国は現在も戦争しまくってるのは何なんだ?説明がつきませんねえ。それに、米国の公立学校で星条旗や米国国歌をあからさまに否定し、式典などを妨害する教師なんているのか?
人と違う意見を持つのは構わない。しかしそれを何時でもどこでもお構いなしに振り回すのはダメだ。これはそういう類の話。異見を潰すということじゃない。公の学校という性質を考えれば、入学・卒業式などで君が代が歌われるのは自然だ。それを屁理屈こねまして我を通す、さらに中国新聞のようなアレなマスコミが同調する・・まだまだこの国はマトモじゃないな。
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