自分達がやったこと、または本国がやらかしたことを一切省みず、未だに被害者面を続けて喚きまくっている朝鮮総連の中の人たち。当ブログでは、北朝鮮によるミサイル連射、核実験実施発表後の朝鮮総連を巡る環境の変化と、それに対応する朝鮮総連の姿に注目してまいりました。
日本国内で北朝鮮、そして朝鮮総連に対する見方が厳しくなる一方で、総連の中の人たちは『差別!』と叫べば何でも許してもらえた、彼らにとって『大変』良い時代の記憶から離れらず駄々をこねているわけですが、どれだけ白い目で見られようとも、彼らは変わりそうにありません。こちらをご覧ください。(朝鮮新報から以下引用)
◆声を上げ続けること
26日付本紙6面に日本当局による強制捜索の一覧を掲載した。リストを作り、記事を執筆する過程でその数の多さ、手口の非道さに怒りがこみ上げてきた。
メディアのわい曲報道や当局による政治弾圧問題について取材、執筆するたびに、日本社会で高まる「北朝鮮」排外主義に反対していく必要性を感じている。
最近折に触れて米国公民権運動の指導者M.L.キング牧師の著作の一節を思い出す。大学時代に接した本だ。「なぜ座り込みやデモ行進などの直接行動に出るのか。交渉というもっと良い手段があるではないか」という「穏健派」の問いかけに、彼は獄中でこう書き記している。
「非暴力直接行動の狙いは、話し合いを絶えず拒んできた地域社会に、どうでも争点と対決せざるをえないような危機感と緊張状態を作り出そうとするものだ。それは、もはや無視できないように争点を劇的に盛りあげようというものだ」
政治弾圧が当然のことのように報じられ社会に受容されていく異様な状況にあるからこそ、示唆に富む言葉だと思う。
警察当局が総聯の活動の「事件化」を叫ぶなら、逆にこちらが当局の横暴を「争点化」すればいい。
来月3日には大規模な集会とデモがある。筆者の周辺では危機感がすでに最高潮に達している。仕事を休んでも参加するという知り合いもたくさんいる。
声を上げ続けること。弾圧に断固とした「NO!」の意志を示すこと。見えなくされてきた問題を明るみに出し、その解決を迫ること。今までもそうしてきたし、これからもそうだ。
今までもそうしてきたし、これからもそうだ・・ですか。ホントに全く変わるつもりなんてないんですね(笑)。おもちゃを取り上げられそうになっている子供のように意固地ですねえ。独特の民族性というやつも加味されて、大変香ばしいことになっています。
なんとキング牧師を持ち出して、自分達も同じだ!とでも言いげなんですが、キング牧師の時代の米国における黒人の話と、日本における在日朝鮮人の話は全く次元の違う話です。まず最初に、彼ら黒人は米国国民であり、米国に忠誠を誓っているにもかかわらず公民権がなかった。これは明らかに不当な差別だ。これはバカでもわかる。
が、在日朝鮮人はどうか。その名の通り在日朝鮮人は日本人ではなく、日本に忠誠を誓っているわけでもない。それどころかあからさまに日本を敵視している。にもかかわらず権利だけは『日本人と同等あるいはそれ以上』を求める。そんなバカな話がまかり通って良いわけがない。米国における黒人差別の問題と同列にしようなんてトンデモない話だ。
しかし北朝鮮による日本人拉致事件が発覚するまでは、実際にこんなバカな話がまかり通っていた。差別という言葉を錦の御旗にして駄々をこねていれば、優しい日本人は餅をくれた。けれども餅を騙し取られていることに気付いたんだ日本人は。ということで『普通の対応』をしてみたらアラ不思議、別に弾圧などせずとも総連は脱税を筆頭に違法行為の塊でした。それだけの話。
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