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朝鮮半島赤化統一へのカウントダウン 歴史は繰り返すのか 4
シリーズ第4回目となりました朝鮮半島特集。本日のエントリーは、現大統領盧武鉉(ノムヒョン)氏の大統領選挙立候補の過程、当選から現在までの政策、外交を見ていくと共に、盧大統領当選に大きな役割を果たした『ノサモ』なる支持団体の実態をご紹介し、なぜ韓国はここまで狂ってしまったのかを考えていきたいと思います。

 まず、大統領選直前の韓国の様子を、私の思い出を交えて書いていきます。2002年、政権末期の金大中大統領政権は、地を這うような低支持率となり、支持率回復の『伝統的手法』である『反日』を乱発しますが、いい加減国民も飽きが来てしまってほとんど反応せず。折しも日韓共催ワールドカップ開催の年ということもあって、ほとんどの国民は韓国チームがどのくらい健闘するかという事に興味は集中し、大統領など眼中に無し。
 開会式当日、日本から天皇陛下が訪韓され、金大中大統領夫妻と開会式に出席した際、訪問してきた日本の元首に対して、席に着く事を勧めず、観衆に手を振りアピールを開始。進路を妨害された天皇陛下が窮屈そうに金大統領の後ろを通るといった、外交儀礼を無視した無礼を働いて金大中氏、韓国民の『自尊心』は頂点に登りつめ、金大統領は、韓国内で『漢』を上げます。(怒)

 国内向けの『反日』に天皇陛下までも利用する、禁じ手を使った金大統領に、当時の私はハラワタが煮えくり返る思いをしたものでした。大手マスコミは『日韓友好』優先報道で突っ走り、無理やり友好ムードを作り出して、韓国の行った様々な不正、無礼といった事実を意図的に無視。(とっとと辞めやがれ!この馬○大統領!てな感じで、この年を境に私は韓国が大嫌いになったわけです。思い切り余談ですが(笑))

 さて、ここから本題に入ります。ワールドカップが終り、韓国民の次の興味は大統領選へと移っていきます。保守陣営から李氏、革新陣営から盧氏が立候補し、激戦の末に盧武絃氏が勝利。当時、日本でほとんど知られてなかった盧次期大統領について友人と飲み屋で『やっぱり反日かな?』『金大中以上の反日?』などと話し、『若い世代だし、そんなに酷くないだろう』という結論になったのですが、後にとんでもなく甘かったと思い知る事になります。
 
 盧武鉉氏は1946年生まれ。朝鮮戦争時はまだ子供で、いわゆる『戦争を知らない』世代。釜山商業高校卒業後、苦学の末に弁護士の資格を獲得し、主に『人権問題』などで活躍。当時、大物野党政治家の金泳三氏に認められて1988年政界入り。全斗煥政権下における不正蓄財を国会で再三にわたり厳しく追及して一躍有名になる。1990年に盧泰愚氏らと連立を組む決定をした金泳三氏に反発して金大中氏率いる民主党に入党しますが、1992年に行われた選挙で議席を失います。

 盧氏が最初に立候補したのは釜山。金泳三氏と決別して金大中氏の下、同じ釜山で立候補しますが落選。大きな理由として、『地域対立』が上げられます。これは、現在の韓国でも深刻な問題として横たわり続けています。かなり歴史が古い対立があるとされる釜山を含む地域である慶尚道『新羅』、金大中氏出身地域である光州を含む全羅道『百済』。歴史では、新羅が百済を滅ぼし、同じ国になったのですが、支配された側である全羅道の人々は、現在に至るまで差別され続けており、近代の韓国でも金大中氏の大統領就任までの大統領は慶尚道出身者ばかり。

 盧武鉉氏は、慶尚道出身でありながら、金大中氏の悲願であった『地域対立の解消』に共鳴し、地域対立的には敵である全羅道出身の金大中氏と組んで釜山から立候補しましたが落選。その理由は『全羅道の奴と一緒になりやがって』この言葉が最も的確かと思われます。金大中氏と組んだ時点で選挙に負けることは予想できたと思いますが、あえて前回と同じ釜山から出馬したことに韓国の新しい世代は深刻な『地域対立』解消の夢を見ました。

 韓国の大統領選挙の得票を見ると、明らかに地域別に票が割れており、政策よりも地域が優先される古い社会体制が厳然と残っている現状に風穴を開けるべく立ち上がった盧氏は、全斗煥氏追求の鋭さも相まって、若者を中心に急速に支持を拡大します。これが後に『ノサモ』(盧武鉉を愛する集まりの意)結成に繋がっていく事になります。

 金大中政権下において推進されたインターネット接続の高速回線の全国的な整備により、1990年代後半に韓国ではネット利用者が急増。ネット上に各種のコミュニティーが出来、特定の政治家を支持するコミュニティーも誕生します。それが『ノサモ』発生の大きな要因になり、当初、勝手連的な集まりだった『ノサモ』の会員はネットの特性を十分に生かした形で若者を中心に爆発的に増加。『386世代』と呼ばれる光州事件以降民主化が激化した時代において運動の中心となった、90年代後半に30歳代、80年代に学生で、60年代生まれという世代が先頭に立って運動を展開していきます。日本で言うと、学生運動が激化した『全共闘時代』における団塊の世代とイメージが近く、共通するキーワードは『反米、左翼』というところでしょうか。 

 2000年の国会議員選挙において、地域対立の解消による韓国社会の変革を掲げて出馬した盧武鉉氏でしたが、地域対立の感情は抜きがたく落選。自身3度目となる落選によって政治生命が絶たれたのかとおもわれましたが、『ノサモ』の会員は諦めず、さらに支援の熱を高めて勢力を拡大。このように、今までの韓国内における選挙戦の常識を覆す支援運動を展開する『ノサモ』なる団体によって2002年、盧武鉉氏は次期大統領の有力候補にまでなっていきます。

 浅田次郎氏の言葉を借りれば『目の無いクスブリ』であった盧武鉉氏は、韓国現代財閥の御曹司でFIFA副会長の鄭夢準氏と大統領候補を争い、『ノサモ』の力もあって統一候補になり、韓国最大の保守政党であるハンナラ党大統領候補の李会昌氏と激突。僅差で勝利して大統領となり、『大いにハネた』のでした。

 優秀な権力の追及者が、良い為政者になるとは限らない例に漏れず、盧武鉉政権の始まりは、『ノサモ』との対立という波乱含みのスタートとなります。大統領選挙直前の2002年当時、韓国に駐留する米軍の兵士が、韓国人の少女を車でひき殺すという悲しい事件が起こり、それに怒った国民が大規模なデモを展開。中心となったのは、やはり『ノサモ』会員を筆頭に『386世代』、それ以下の若い世代が参加し、米軍撤退を求めて激しい抗議を繰り広げる中、盧武鉉氏は『米国との平等な関係を求める正当な要求』と米軍撤退要求運動を激励し、慎重な対応を求めるハンナラ党の李会昌候補との違いを見せつけ、反米に狂乱する国民の支持を集め、この対応の差が僅差の勝利に繋がったと言われています。

 大統領当選者となった盧武鉉氏は、米韓同盟なくして韓国の安全は担保されないという事を誰かに進言されたのでしょうか、激化する米軍撤退要求デモを自粛するように呼びかけます。
 
 驚いたのはデモに参加した人々で、『反米、反独裁、反地域対立、ついでに反日』同志であったはずの盧武鉉氏が『アメリカを擁護している!』と激しく反発。困った盧氏は対応に苦慮し、主な支持層である人々を鎮圧する事は出来ず、一緒になって米国に撤退要求を突きつけるわけにもいかず、結局うやむやにして時間が過ぎ去る事を待ちますが、国民の極端な反米感情の悪化を招き、米国からは『反米主義者が大統領に就任する』と受け取られ、現在迷走する盧政権を形作った象徴的な出来事といえます。

 就任後の盧武鉉大統領は、地域対立解消のために動き出すかに見えましたが、金大中氏率いる前政権下において、長い長い間韓国社会の頂点には決して食い込めなかった全羅道出身者が政権の中枢に多かったことを問題視し、これを追放しようと調査を開始します。今までの差別による反動という見方もできる『全羅道出身者偏重人事』を追求される形となった金大中氏と派閥の議員は、盧武鉉氏と対立することになり、これが後に前代未聞の大騒動を引き起こす原因を作ることに。(後述します)

 大統領就任演説の中で、朝鮮半島の懸案である北朝鮮問題に関しては、当然、金大中氏の『太陽政策』を継続することを表明し、『北は敵ではなく協議相手』だとして敵視する事を止めるように国民に呼びかけ、元々北朝鮮に擦り寄る宥和政策だと言われていた『太陽政策』をさらに積極的に推進していく考えを明らかにし、『北東アジア共同体構想』なるものをぶち上げ、一応米韓同盟の重要さに言及しますが、今までの北朝鮮との対立において、武力行使をせず、平和的共存あるいは統一を目指す政策と、抑止力として駐留し続ける米軍の存在が矛盾することは誰の目にも明らかであり、大統領就任前の盧武鉉氏の行動を見ていた国際社会、特に米国はこの時から、決定的に対韓国の政策を転換させていきます。

 就任後初めて米国を訪問した盧武鉉氏は、米国との関係を重視する旨ブッシュ大統領に発言しますが、会談時間をわずか15分で打ち切られるという冷遇ぶり。『お前の頭の中は透けて見えてるんだよ』と突き放されたも同然なのですが、会談は大成功だった!と自画自賛する狂いっぷりを目撃した私は、この頃から『だめだな、今度の大統領も』という感想を持ちましたが、これからさらに狂っていく韓国社会、政治、外交を予想することは出来ませんでした。

 まず、組閣人事を発表した大統領は、新内閣の改造を行わず、継続的で安定する政権を作ることを発表しますが、人事の内容を見て仰天しました。地域対立その他の対立を乗り越え、新しい韓国社会を作る事を掲げていた盧大統領の人事は、まさに『左翼政権』という名がピッタリくるこれまで共闘してきた身内を配置。バランスを著しく欠いた人事を行います。金大中氏の影響から脱したい盧氏は金大中派を遠ざけ、検察や警察、の制度改革を発表し、国家情報院(諜報機関)のトップに人権派弁護士を配置して前政権の影響力排除に乗り出します。

 怒った金大中派は盧武鉉氏と対立し、民主党が分裂。盧武鉉氏とその取り巻きは『ウリ党』を結成して一転少数与党に転落する事となり、下野した民主党はハンナラ党と共に大統領を弾劾するという前代未聞の事態が勃発。国内は大混乱に陥り、一時は大統領弾劾が圧倒的多数で可決されるなど非常事態寸前まで行きますが、国民の大部分が大統領弾劾を屈辱と捕えて反対し、なんとか辞任せずに済んだ盧武鉉大統領でしたが、弾劾事件の最中に選挙戦での不正を暴露され、清廉なイメージが崩壊し、『もうだめか?』と思われた中、『不正は認めるが、ハンナラ党の1割以下の金しか使ってない。もしそれ以上なら辞任する』という日本人には理解不能の釈明で切り抜けを図り、それで韓国民は納得するという、これまた理解不能の事態となったのでした。

 辛くも大統領の地位を保つ事に成功した盧大統領は、より鮮明に『親北』政策を実行に移します。朝鮮日報に代表される韓国の保守的な報道機関を敵視して規制を強めようとし、『ノサモ』がそれに連動して不買運動を展開。これまで反政府を掲げてきた『左翼系』報道機関をあからさまに支援して国民の意識改造に乗り出します。さらに、政権与党内に金大中派がいた頃には、米国のイラク戦争に派兵をしてポーズをとっていましたが、たがが外れた盧氏は在韓米軍の人員削減を積極的に支持。米軍が保持する戦時における米韓軍の指揮権を剥奪する事も発表し、完全に『あちら側』に行ってしまう事になりました。

 このような動きに国民は危機感を持つべきなのですが、竹島問題や歴史教科書問題、総理の靖国参拝問題を積極的に批判し、韓国民の意識を日本に向けさせているために気が付くわけも無く、反日の動きに呼応する形で『反米』も織り交ぜ、『反米帝、反日帝』という北朝鮮と同じ思想を作り出すことに成功。

 これらの一連の動きのすべては、盧武鉉大統領が望むところではないのかもしれません。が、登用した人材や主な支持層による主張が原動力となっていることは明らかであり、朝鮮戦争後、北朝鮮によって植えつけられた『新北派』の種が満開の花となって咲き乱れ、さらに種を落として増殖してきた結果が現在の韓国社会を形作っています。
 現在進行中に見える赤化統一へのステップは、いよいよ『易姓革命』宜しく、『親日派』と呼ばれる人々を弾圧する法案が可決されるに至って最終段階へと移行していきます。

 それでは明日以降、『親日派』弾圧へ向けた動き、これから来るであろう韓国社会の混乱を予想してみたいと思います。今回のエントリーはここで終りとします。長文を読んでいただきありがとうございました。またご訪問ください。



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